スコットランドに敗退・・・
ジャパンは予選2試合目、中三日でスコットランドと対戦。
前半こそ内容は良くなくも、ラインアウトからドライビングモールでこの試合No,8マフィの初トライに五郎丸のゴールも決まって7-6と逆転。
その後立て続けにPGを決められ再度逆転を許すも、ラストプレーで相手のトライを猛タックルで阻止した五郎丸の気迫あるプレーもあり、7-12の5点差で後半戦へ。
後半早々にマフィの突破からPGをゲットし3点追加、10-12と射程圏内に突入。
しかし、このプレーでマフィが担架で退場することに。
次のポイントが大きく勝負を分けることになると思った矢先、後半10分にスコアされてしまう。(10-17)
疲れの見えるジャパン、攻め続けて何とか扉をこじ開けようとするも、この日が開幕ゲームとなったスコットランドの選手の防御は堅く崩れない。
逆に16分、24分とトライされいっきに10-31と最大21点差まで広がり残り15分。
その後も攻めきれずに、29分、34分とトライ献上、10-45でノーサイド。
試合後、試合間隔の中三日を言い訳にしなかったエディーさん。
それだけの対策をしっかり準備して挑んだはずだったが、やはり選手の疲労はブラウン管上でも見て取れた。
ノッコン等の細かなミス、サポートの遅れ、スクラムの劣勢、ラインアウトモールの後退等・・・。
しかし、それ以上にスコットランドが素晴らしかったではないか?
SHレイドローのPG含むキック(ボックス)の精度、強固なスクラム、モールDF、パワフルなタテ突破にオフサイドスレスレのBKアンブレラディフェンス。
間違いなく、スコットランドにとってはこの日一番のゲームとなっただろう。
さあ、JAPAN!
まだあと2試合残っている。
幸い、次の試合までは時間がある。
しっかりリフレッシュするだろうし、エディーさんなら色々と次の秘策を考えているだろう。
サモア戦、みんなで期待しましょう。
ガンバJAPAN!!
JAPAN出場最年長記録へ!
また東芝の後輩に抜かれるのも本望…♪
※ 1991年ワールドカップ・プレイバック
第2回ラグビーワールドカップイングランド大会が行われた時、私は東芝府中入社2年目で23歳。
その年の春、敵地アメリカでアメリカ代表戦に出場して初キャップを獲得。
CAP1のままワールドカップの舞台に来た。
初戦のスコットランド戦、いきなりSHに任命され、敵地マレーフィールドで6万人の大観衆に迎えられ、ワールドカップ初デビューとなるも敗戦。
ホワイトシャークの異名を取った6番ジェフェリーに、壊し屋7番コールダー、8番ホワイトの3列に2m級のロックの機動力は破壊力抜群だった。
またバックスにはSHアームストロング、SOチャーマーズにCTBとFBにヘイスティングス兄弟とタレントが勢揃い。
この時のスコットランド代表はベスト4、本当に強かった。
私自身、何もできてないと思っていたが、現地の見る目は違っていた。
ユニオン、そしてラグビーリーグからも、当時の故・宿澤監督までオファーがあったと聞いた。
ワールドカップ終了後、会社・当時の監督には「スコットランドでやりたい」と伝えたけど・・・。
今では良き思い出です♪
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