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2011年9月15日 (木)

NZ戦…

01

2000年、当時高校JAPANが仏遠征時にバイヨンヌ戦を観戦!!
大田尾、廣瀬、山村等今でも活躍している名前が・・・




今朝(山中湖)は学生とウェイトで汗を流し、午後は伊勢原体育事務室に寄った後、渋谷で1件打ち合わせ。
その後、ラグビー協会でセブンズMTG.。
20時過ぎに家に戻ってしばしだんらん後、就寝。
あすは朝5時移動(山中湖)、7時半の朝食に間に合わせる・・・!?

第7回ワールドカップはいよいよNZ戦だ!!
第3回(1995年)W杯で17-145という歴史的大敗を喫したジャパン。
この試合のSHは僕で大会初先発。
まだ4キャップ(IRB国際試合)目、その前の第2回(1991年)W杯スコットランド戦が2キャップ目だったから、4年間でキャップひとつ(1995年トンガ戦途中出場)しか増えていなかった・・・!?
その原因のひとつに度重なる怪我。
そして、戦術的な交代がなかった時代だったこともある。

1991年(=23歳)、初戦スコットランド戦で第2回ワールドカップデビューも、自身2回目の顎亀裂(3ヶ所/1992年/OPE=24歳)骨折。(2005年にも顎骨折/OPE=37歳時)
その後、3年間の間に右肩脱臼7回(1994年/OPE=26歳)。
1995年に代表復帰、1991年に続き堀越(早稲田ー現立正大監督)と2度目のワールドカップ(=27歳)。

ライバル堀越の存在は大きかった。
1995年、もう出場機会はないと思っていたが、SO平尾さんが抜けて予選最終戦は村田ー広瀬のHB団で行くことになった。

そしてあの試合・・・。
サイドアタックは通用した。
警戒されていたけどゲインラインは突破した。
でもボールは繋ぐことができなかった。

楽しかったのは最初の5分だけ。
あとは相手の突破を許していく。
後半2トライ返すものの成すすべなくノーサイドを迎えた。

あの試合を経験したから今がある。
怪物WTB J.ロムー率いる世界最強オールブラックスだったが、決勝戦で南アに惜敗。
これは映画 "インビクタス" でも紹介。

その4ヵ月後、マレーシアで行われた10人制ラグビー、コブラ10's大会に日本代表主将として参加。
ジャパンは予選でNZマオリ代表と対戦し、勝利した。
試合前のブーイングが試合後には大歓声に変わっていた。

NZマオリとはいえ代表だ。
決勝戦で再び当たったが、試合前には "ハカ" も魅せてくれた。
(敗戦/準決勝で脳震盪を起こし決勝はDrストップ)

しかし、予選での勝利後、何かが吹っ切れた。
"NZ人も同じ人間、自信持ってやればできる"
当時監督だったパウロナワルさんにはいろいろと学ばせてもらった。

ちょうどNZ戦に先発するSH日和佐が、僕が始めて出場した1991年ワールドカップ時と同じ年齢(=23歳)。
フランス戦でも途中出場しては見事なパスワークで牽引した。

日本人も多く先発出場する今回のメンバー。
日本魂でチャレンジして欲しい!!

ALLEZ JAPON ♪




※ ワールドカップとWata

第4回(1999年)ワールドカップ時は31歳(東芝府中在籍/1990-1999)
当時SHとしてNZ代表最多キャップ、世界屈指のSHバショップが1999年春から日本代表に選ばれた。
1995年のNZ戦以降、日本代表の9番(レギュラー)を守ってきたが、ワールドカップまでに出場した試合は、春のPリム・アメリカ代表戦(Hawaii/快勝)と壮行試合スペイン代表戦(日本選抜/大勝)だけ。
予選2試合目、ウェールズと大きな点差が開いた後半残り14分のみSHバショップと交代して出場。

大会終了後、フランス・アビロンバイヨンヌ(1999-2001)に移籍。
2シーズン合計40試合の公式戦(非公式含/44試合)に出場し、ヤマハ発動機(2001-2008)に移籍。
その後、日本代表に復帰して、4大会連続・第5回(2007年=35歳)ワールドカップを目指すも直前に落選。
2005年(37歳)三度日本代表復帰、アイルランド戦(秩父宮)で41キャップ目を記録。
2008年(40歳)2月2日、最終戦 東芝戦に途中出場し現役引退。






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コメント

久しぶりのコメントです。
読んでいたらワタさんの姿が蘇ってきて、涙が出てきちゃいましたf^_^;
ヤマハ時代のワタさんのプレイを身近に感じる事ができたのは、本当に幸せなんだと改めて感謝の思いです!

投稿: Junko | 2011年9月16日 (金) 22時15分

こんばんは。
ご無沙汰してます。
NZ戦、残念…despairなかなかこのレベルに勝つ、あるいは失点を抑えるのは難しいかとも思いますが、それでもベスト8入りを狙うには、それを克服しないといけないのでしょうね。個人的に、ビッグ8レベルともう少し試合を組んでほしいと思います。
そんな中、小野澤選手のトライが実に輝いて見えました。何か救われたような気もしました。今度のこのチームには期待しているだけに、次の2試合では白星を、と思っています。good

あの1991年大会と1995年大会、懐かしいですね。
村田さんの勇姿も未だに脳裏に焼き付いています。

投稿: AK | 2011年9月16日 (金) 23時39分

いま思えば40歳での引退は必然でした。
東芝時代から主治医でもあった東芝病院整形外科医・
増島先生(Dr)には2シーズン以上前から'目の件'でドクターストップがかかっていましたから・・・。
1991年のワールドカップは自分で言うのもなんですが
本当にイケイケでした。怖いもの知らずと言った所でしょうか・・・!?
師匠FL梶原氏(日川高校監督)、ナチュラルHO薫田氏といったFWの飛車角(JAPAN)がいてくれたおかげで東芝時代はずいぶん走り回ることができました。
この時代(1996-1998=V3)、PからGOというキャッチフレーズができましたが、実は1990年の入社当時からひとりPからGOしていました♪
ヤマハでもPからGOはやっていましたね・・・!?
ボールをタップキックして自ら走る、ボクの原点でしたから・・・♪

投稿: Wata | 2011年9月18日 (日) 00時43分

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